気づいたら、また頑張りすぎていた
私はどの職場でも、気づけば“頑張りすぎて”いました。
頼られると断れないし、責任感が強いから手も抜けない。
休むという選択肢は私にはなく、いつの間にか心も体も限界を超えていました。
それでも「働いていない=価値がない」と思ってしまい、
体調が悪い日でも無理をして必ず出社していました。
結果、自分で自分の首を絞めてしまっていたのです。
頑張りすぎるのは、“真面目さ”の裏返し
どんな職場でも、人間関係のトラブルはほとんどありませんでした。
むしろ「真面目で信頼できる人」と思われ、仕事を任されることが多かったです。
でもそれは同時に、“断れない自分”を生んでいました。
「頼まれたから」「期待されているから」――そう思うと、
つい自分のキャパを超えてでも応えようとしてしまう。
誰かに迷惑をかけるくらいなら、自分が頑張ればいいと。
その結果、心も体もすり減っていたのだと思います。
頑張りすぎるほど、自分を見失っていく
頑張ることが当たり前と思い働いていた頃、私はいつもイライラしていました。
少しのことで心が乱れて、人に優しくする余裕もなくなっていた。
「もっと効率よくできるはず」
「私がやらなきゃ回らない」
「会社のためにはもっともっと頑張らないと」
――そんな焦りと責任感ばかりが先に立って、
本当は誰よりも疲れていたのに、それに気づかないふりをしていました。
常に気が張っていて、仕事が終わっても緊張が抜けない。
眠りにつこうとしても、頭の中では翌日の段取りを考えてしまう。
リラックスする状況がなくなっていました。
そんなとき、唯一の“逃げ場”がアルコールでした。
もともとお酒は大好きで、食事と一緒に美味しく飲むのが趣味でした。
でもいつの間にか、それが“嫌な気持ちを紛らわすためのツール”に変わっていました。
仕事が終わった帰り道、駅から家に着くまでのわずかな時間ですら、
缶を片手にお酒を飲むのが習慣になっていたんです。
休みの日は、朝から飲まないと気持ちが落ち着かない。
……今思えば、完全にアル中ですよね(笑)。
お酒を飲むと一時的には気分が軽くなりますが、
夜中に何度も目が覚め、翌朝はだるさが残る。
睡眠の質はどんどん悪くなり、疲れが抜けないまま翌日を迎える――
そんな悪循環に、どっぷりはまっていました。
ストレスで暴飲暴食にも走り、
食べたあとに自己嫌悪でまた落ち込む。
まるで出口のないループに自らはまり込んでいたようでした。
“頑張りたい”という気持ちは純粋なのに、
その頑張り方を間違えると、
自分をどんどん苦しめてしまう――
そのことに気づくまで、ずいぶん時間がかかりました。
定時勤務でも“心の温度差”がつらかった
「もう少し穏やかに働こう」と思い、
定時で帰れる事務職に転職したこともあります。
単調な作業をコツコツこなすこと自体は嫌いではありませんでした。
ただ――やっていることの成果が“会社の成長”として実感できないと、
次第にモチベーションが下がってしまう。
一方で、営業時代のように数字に追われ続けるのも、
精神的にすり減ってしまう自分がいました。
そんな中で気づいたのは、
「安定=正解」ではなく、
“頑張った分がきちんと報われる環境”のほうが
自分には合っているかもしれないということ。
これまでの経験を通して、
歩合制のように成果が給与に反映される働き方のほうが、
自分の努力を素直に評価できて、やりがいを感じられる――
そう思えるようになったのは、私の中で大きな変化でした。
真面目すぎる自分は、結局どこにいても息苦しさを感じてしまう。
でも同時に、“やりがい”を求める気持ちが
働く原動力になっていたことにも気づいたんです。
“頑張りを手放す”練習を始めた
今は、「全力で頑張る」よりも「自分を整える」ことを意識しています。
完璧じゃなくてもいい。できない日があってもいい。
“頑張りすぎる自分”を手放すのは簡単ではありません。
けれど、「無理してでもやる」より、「無理せず続ける」ほうが、
ずっと心地いいと感じています。
そして、この“手放す”という感覚が、私の人生の大きな決断にもつながりました。
実は、夫の海外転勤の話が出たとき――
「行ってみたら?」と一番に背中を押したのは、私自身でした。
むしろ、私のほうから「行きたい」と言ったんです。
本来なら行く予定のなかった部署に、夫が自ら手を挙げて異動を決めたとき、
その姿を見て私も覚悟が決まりました。
30歳を目前にして、正社員という肩書を手放すこと。
昔の私なら怖くてできなかったと思います。
でも、転職を繰り返してきた中で見えてきたこと、
断捨離をしていくうちに身についた、今の自分に必要なものの選択が
「本当にやりたいことをやろう」という気持ちを後押ししてくれました。
今この場所にいても、何も変わらない。
居場所に違和感があるなら、行動するしかない。
そう思って、私は“国外へ出る”という選択をしました。
そして今、人生で初めて――「専業主婦」という生き方を選びました。
かつては“働いていない=価値がない”と思っていた私が、
“立ち止まる時間にも意味がある”と感じられるようになったのです。
おわりに:立ち止まることも、前に進む一歩
“頑張ること”が当たり前だった私にとって、
立ち止まることや、何もしない時間は「怠け」と同義でした。
でも今は、そうではないと感じています。
どれだけ頑張っても報われない時期があったことも、
頑張りすぎて壊れそうになったことも、
全部、今の私に必要な経験だったのだと思います。
海外での生活を始めてから、
“働く自分”ではなく、“生きている自分”を見つめ直す時間が増えました。
焦って結果を出そうとしなくてもいい。
休むこと、迷うこと、模索することも「ちゃんと生きている証」。
あの頃のように全力で走ることは、もうしないかもしれません。
でも、自分を大切にしながら進む道のほうが、
ずっと心地よく、ちゃんと“自分の人生”だと感じています。
頑張りすぎて息苦しいときは、少しだけ立ち止まってもいい。
「今の自分」を否定せずに受け止めることで、
きっとまた、自然に歩き出せるはずです。


コメント